2026年7月23日(木)、トッパンホールにて、今年度より器楽部門奨学生としてお迎えした55回生・本堂竣哉さんのリサイタルが開催されました。
本堂さんは5歳のときにJ.S.バッハの《ゴルトベルク変奏曲》と出会い、強い衝撃を受け、それ以来この作品は人生の中心にあるそうです。また、この日演奏したベーゼンドルファーのピアノとも、小学生の頃に初めて出会い、それ以来虜になっているとのこと。
大好きなベーゼンドルファーで、人生の中心にある《ゴルトベルク変奏曲》を弾く――。この日のリサイタルは、本堂さんにとって特別な、念願のステージだったようです。
Q1. この日のリサイタルでは、何を目指して準備しましたか?また、この日のリサイタルを終えて、何を感じていますか?
何を目指して、と言われると難しいのですが……
ほかのプログラムと『ゴルトベルク変奏曲』では、自分として取り組み方が少し違っているように感じます。
ある演奏会当日の一日のために準備するという感覚より、人生をかけてこの曲の山を登り続けるなかで、演奏会の日に自分の現在地点をたしかめる、という感覚を、僕はこの曲に持っています。
小林道夫先生は40歳から90歳までの50年間、毎年末に『ゴルトベルク変奏曲』の演奏会をなさいました。何十年弾いて、まだ入り口でうろうろしてるって感じがする、と先生はおっしゃいます。先生がそれなら、僕はまだ門の周辺で入り口を探しているところでしょう。それほどに宇宙的で大きな芸術作品です。
作品を自分が飛び越してしまって、「なにかやってやろう」なんて生意気なことを思って弾くものなら、その驕りはすぐにも聴く人に伝わるものだ、ということを経験的に知っています。つまりはバッハの(小林先生の言葉を借りると)「神様が花を創った次元での仕事」を、自分によくわかる範疇におろしてきてしまう、というようなことです。私たちにできることは、この曲に向き合って、毎日の新たな発見を楽しみながら、ひたすら音楽をすることだけだと思います。
このことは決して自分を卑下して曲を崇拝する、という態度を意味しません。真に曲と向き合うということは、胸襟をひらいて、自由な精神をもって曲と対話ができる、ということだと考えます。それはとても楽しいことです。
「ここはこうなっていたのか!ははぁー」という発見が、毎日必ずある、ということも、この曲のすごさです。小林先生は、「50年弾いて飽きなかったんだから、飽きないよ。」とおっしゃっていました。芸術の楽しさ、芸術の喜びに満ち溢れた曲です。この曲と一生付き合えることに感謝しています。


Q2.本堂さんはバッハが大好きとお聞きしています。本堂さんにとって、数多くの作曲家の中でバッハはどんな存在ですか?
バッハはほかの作曲家と数多くの意味で違っています。「神様が花を創った次元で仕事ができた唯一の人間」だったとは本当にその通りだろうと思います。
バッハは、「知」と「情」の、両方において突出している。「両方において」というところが、バッハの特別さ、特異さを示しています。「知」的に完璧な作品でありながら、「情」的にも人間の根底に触れる。僕は、特に『マタイ受難曲』を説明するとき、バッハは彼の感情や曲の感情を押し付けてくるのではなく、こちらの感情をいつでも受け入れてくれる、と言います。こちらがどんな状態にあっても、バッハの音楽はそれにフィットするように聴こえてくる、そこがあの完璧な作曲技法以上にすごいことではないでしょうか。

Q3. 3月に東京藝術大学を卒業して、10月からベルリン芸術大学へ留学されますが、ベルリン芸術大学では特に何を学びたいと思っていますか?
もともと興味を持っている古楽の、知識・理論のことはもちろんですが、実践の部分をもっと学びたいと思っています。日本では素晴らしい先生から理論などの概要を学べたものの、実践の場が少なかったので。
また、レーマン先生(これから師事する先生)のレッスンを受けていて一番自分に足りないと思うのは、音楽に内在する上下の運動です。本質的にはリズム感と言っていいと思います。
Q4.将来、どんなピアニストを目指していますか?
「ピアニスト」という言葉を、昔から僕はあまり好んでいません。ピアニストである以前に音楽家でありたいと思っているし、音楽家である以前に芸術家でありたい、芸術家である以前に人間でありたいと思っているからです。
たまたま僕はピアノを弾いていますが、芸術家という生き方はその表現道具に限定されるものではない、と思います。それは、(ジャンルを絞らず)数多くの過去に生きた・あるいは現在生きている素晴らしい芸術家たちが、本質的にはみな同じことを言っていることが、その作品たちを丁寧に見れば明らかであることからも言えます。
僕はときどき、ある小説家の小説と、ほかの小説家の小説と、ある映画監督の映画と、ある研究者の言葉に別々に出会って、彼ら作家がみな握手しているように感じることがあります。そんなとき、僕はとても嬉しくなります。彼らの中心課題はみな、本質的には「どう生きるか」で、「どう生きるか」をみな考え続けたからこそそういうことが起こるのだろう、と。
自分の過去に考えたことや、既成の常識に機械化されず、心はやわらかく、でも芯は強く、考え続ける人間でありたいと思います。自分をピアニストに規定するつもりはありません。
Q5.音楽の道を進む中では、楽しいことばかりではなく、大変なこと、苦しいこともあると思いますが、ここまで続けてこられたのは何が支えだったと思いますか?
まずは芸術そのものの力だと思います。師匠の伊藤恵先生がいつもおっしゃるように、ベートーヴェンを弾くのにはものすごいエネルギーが必要。でも、ベートーヴェンはそれよりもっと多くの元気をくれる。そんなようなことです。また、素晴らしい小説や映画にたいへん救われてきました。
そして、素晴らしい先生方との出会い。ピアノをはじめたときから今まで、とにかく先生方に恵まれました。これ以上考えられないほどです。どの先生からも、ピアノの弾き方だけでなく、生き方を教わりました。
そしてそれを援助してくれた両親。どんなに喧嘩してもやはり一番愛してくれていたと思います。

Q6.今、ピアノ以外で一番興味を持っていることは何でしょうか。
ちょっと前にこの質問をされたなら、タルコフスキー!とか、大江健三郎!とか、パッと言えたと思うのですが、それらに対する興味がどんどん増大して火花を散らしていて、一周回ってなんだかよくわからなくなってきた、というのがいまの状態です。
僕は最近、混乱状態にあるようです。なにか新しい情報が飛び込んできたときにすぐにパニックになってしまう時期が戻ってきました。腰を据えて、上中下巻があるような長篇小説を読み込むような時間が欲しいです。それと同じ感覚で楽譜をゆっくり読みたいです。
そういう時間が取れれば、いま一番興味を持っているのはこれで、こうこうこういうふうに……といつまでもしゃべられる状態まで、精神を恢復させられると思います。
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当初、バッハの《ゴルトベルク変奏曲》のリサイタルと聞き、少し緊張しながら会場へ向かいましたが、演奏が始まると、実にさまざまな表情をもつ変奏曲が次から次へと現れ、最初から最後まで飽きることなく楽しむことができました。終演後、本堂さん自身も「楽しかった!」と話されていたのが印象的でした。
本堂さんは「難しい解説は私に任せて、ただ純粋に音楽を楽しんでほしい」とお話しされていました。その言葉の通り、難しいことを考えず、ただ音楽に身を委ねて楽しめたこと自体が、バッハの音楽の偉大さなのかもしれません。聴き終えて、改めて「やっぱりバッハが好き!」と感じた、とても素敵なリサイタルでした。



