2026/07/15

柿岡春香 卒業レポート

2026/07/15

柿岡春香

柿岡 春香 Haruka Kakioka

2電子機器や衣類、生物の生命活動に至るまで、私たちの生活は化学反応に溢れています。私は身近な化学反応の根本的なメカニズムを理解するプロセスに惹かれ、物理化学分野を志しました。大学院では、特に宇宙空間における化学反応を研究…

学術部門50回生として、5年間お世話になった柿岡春香です。まず、5年間の支援、本当にありがとうございました。以下に、奨学生としての私の軌跡を記録しました。

わたし、やっぱり物理やってみます

「なぜ私は存在しなければならなかったのか」。この問いは、科学者としての私のコアにあたる疑問です。私の研究者人生は、この問いを中心に回っています。

化学科として入学し、当初はastrochemistryを研究する予定だった1年次。この究極の問いに、直接答えてくれるのがastrochemistryだと思っていたからです。実際にMcGuire LabBrett McGuireとも話をし、Brettのもとで研究をする予定になっていました。

———ですが、現実は小説より奇なり。

きっかけは、私がBrettとのミーティングでぽろりと零した一言でした。「将来は、物理の道に進みたい」。実は、学部の後半から、私は物理への転向を目論んでいたのでした。物理の方が、私の究極の問いによく答えてくれるのでは?と考え始めていたからです。それにしても、「物理に進みたいからastrochemistryの研究室に入りたい」という発言は、今考えると的外れもいいところです。そこでBrettが返した一言が、私の人生を大きく変えました。「物理に進みたいなら、うちじゃない方がいい。物理科にRonald Fernando Garcia Ruiz Labというところがあって、うちとコラボレーションする話が進んでいるから、あっちに行って話しておいで」。すぐにメールを送り、Ronaldとのミーティングに向かいました。ちょうど分子に詳しい院生を探していたRonald。化学科出身の私は、彼にとってもぴったりの人材でした。すぐに話がまとまり、あれよあれよという間にRonald Fernando Garcia Ruiz Labに所属が決まりました。この進路変更ができたのは、財団の奨学金あってのことです。心の底から感謝しています。

でも、物理の洗礼

学部時代からひそかに物理への転向を目論んでいた私でしたが、学部後半になって初めて物理を本気で取り始めた私では、本職の物理学生たちには到底経験値が及びません。そもそも学部で量子力学すら取る時間がなかった私です。いきなりMITの院レベルの量子力学に投げ込まれ、宿題やテストに四苦八苦する毎日。その後のnuclear physicsでも、particle physicsでも、AMO physicsでも、初めて見るものを最初から院レベルで叩き込まれるのです。研究でも同じく、わからないまま即実戦投入です。私は「power cableってなに?」というところから始めなくてはなりませんでした。「ねじに種類なんてあるの?」「実験装置を作るってどういうこと?」「アルミニウムに穴を開ける?自分で?」「oscilloscopeって何するの?」どれも物理学生なら学部時代に一通り経験していることばかりですが、私にはすべてが初めて。本当に右も左もわからない。自分が今まで勉強してきたことが1ミリも役に立たない。初めてそんな経験をしました。それでも心が折れなかったということは、本当に私は物理がやりたかったのでしょう。

ラボで作った初めての作品。うまく穴が開けられず、ずれてしまいました


もう物理なんて聞きたくない

がむしゃらに過ごしていた2年次の冬に持病を発症、そのまま1年半の休学に追い込まれ、即一時帰国した私。体調が改善しない日々を過ごしながら、もうMITなんてやめてしまおうと何度も思いました。そしていつしか、物理に触れることそのものが怖くなってしまったのです。休学中に勉強しようと思って持って帰ってきた教科書は、長いこと机の上でほこりを被り、もはや呪物のような扱いを受けていました。

回復のきっかけになったのは、父の友人の蝶学者の先生でした。彼の個人情報を考慮し、Tさんとしましょう。父がある日「これ、もらったんだ。読んでみる?」と差し出してきたのは、Tさんが同好会誌に寄せた記事でした。チベットで、既存の種とよく似た、でも決定的に違う新種を見つけたというのです。記事を半信半疑で読み進めたことを、今でもよく覚えています。非常に失礼なことですが、彼に反論したいがために、様々な文献をあたる日々が始まりました。まず、彼の論文を国会図書館まで出向いてコピーし、隅々まで読み込む。彼の専門分野の蝶のモノグラフを借りに、車で一時間以上かけて県外の図書館まで出向く。大英自然史博物館のオンライン標本コレクションを漁る。そんなことをしているうちに、だんだんと好奇心が戻ってきます。

———あ、私、まだちゃんと知りたいんだ。

この出会いを経て、論文に触れる恐怖が一気に薄れ、やっと「私にもまだ研究できる」と思えるように。ついに復学を決意するに至った、決定的な出来事でした。そしてTさんの名誉のために言うと———彼が言及していた種は本当に新種です。「ニセクシペ」に乾杯を。

壊れたエンジンで再始動

復学後、プロジェクトの配属先異動があり、念願の「物理ど真ん中」の研究に携わることに。はい、また一から再出発です。私は何度、一からのスタートを経験するつもりなのでしょう。余談ですが、高校時代、私は文系でした。

現在取り組んでいるNEPTUNENuclear Electroweak Properties in Trap Using Near-degenerate Energy states)プロジェクトは、ペニングトラップに閉じ込めたSiO分子を用いて、電弱相互作用によるパリティ非保存を調べるものです。分子が持つ近接した逆パリティ準位と、強磁場によるゼーマンシフトを組み合わせることで、原子系よりも十二桁以上大きな増幅効果が期待されています。私の担当は、この実験で主役となるSiOを用意すること。ただし、SiOなら何でもよいというわけではなく、ある特定の量子状態でなければいけません。まずはイオンの生成装置をデザインし、SiOの信号を探すことから始めました。ですが、なぜかエンジンがかからない。既にあるプロジェクトに参加したこともあって、私はただの歯車でしかない、私のプロジェクトじゃない、と感じていたのです。「あれ、わたし、なんで研究してるんだっけ」。これにすら答えられず、なんとなく研究室に行くだけの時期が続きました。

相棒のイオン生成装置。「クリュタイムネストラ」というあんまりな名前をつけました


どん底を抜けた先で

きっかけはひょんなことでした。私にはコラボレーター兼メンターのような、お世話になっている他大学の教授がいます。土曜日のある夜、彼とメッセージでやりとりをしていた時のこと。「あなたさ、」彼が指摘します。「現実に向き合わないといけないよ」。え、ちゃんと把握してるつもりですよ、と返す私。「いや、してないよ」と彼が続けます。「30手前にもなって、自分と周りのマネジメントができないのは能力の問題だよ」「周りを見てみろよ、みんな死ぬ気で研究してるだろ」。そこではっとする私。そうか、こんなにのんびりしてちゃいけないんだ。惰性でラボに行って、惰性で装置を作って、惰性でデータを取って。これではだめだとはわかっていたけれど、もうこんなに深刻なところまで来ていたのか。その日、彼と1時間に及ぶ電話を切ったあと、妙に世界は静かでした。今日、何かが決定的に変わった、と直感で思いました。

そして、そこから半年ほど。我ながら、人が変わったようです。まず、やっと「私も物理をやっていていい」と思えたこと。そして今は、研究することを積極的に選び直す毎日です。「誰かが最後には助けてくれる」というメンタリティから脱却し、自分で責任を持って装置と向き合っています。あれこれと頭を柔らかくして、次に試す一手のアイデアが尽きないように。どうしても打破できなかったら、プロジェクトを止めてしまう前に適切な支援を要請するように。プロジェクトの意思決定には、必ず関われるようPIとはっきりコミュニケーションするように。これは私のプロジェクトだから、成功に導くのはこの私なんだ、という覚悟ができました。きっと当たり前のことでしょうが、休学を乗り越えた私には大きな前進です。

物理へのモチベーションが急増したこともあり、tax returnで返ってきた資金を投じて、最近は趣味の研究室を自宅に作っています。最初のプロジェクトに選んだのはRbg-factor measurement。レーザーの自作に始まり、optical pumpingZeeman splittingnoise characterizationなどAMOの基礎を家でもなぞれる良いプロジェクトです。家にはoscilloscopefunction generatorDC power supplyが並んでいます。この実験を成功させるため、休日も夜遅くまで物理をやる日ばかりです。…ただ、非常にお金のかかるプロジェクトでして、資金調達が最大のlimiting factorなのですが。

後輩の皆さんに向けて

私はまだ何も成し遂げていません。皆さんに、成功者としてかける言葉は一つも持っていません。こんな私からひとつ伝えられるとすれば———毎日、「生きることを選び直せる」人生を送りましょう、ということです。休学中や、復学直後の私のように惰性で毎日を過ごすのではなく、毎日操縦席に座り直し、どこに向かいたいのかを地図で確認し直して、きちんと飛んでいける、そんな人生です。皆さんが、それぞれの操縦席から、見たことのない景色へ飛んでいけることを願っています。

コロンビア(国の方)で開催された学会での発表の様子