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辻 すみれ インタビュー│東京2020オリンピック

世界での活躍を目指し、ハードなトレーニングを積み重ねてきたスポーツ部門奨学生/助成対象者がこの度晴れてオリンピック代表に選出されました。競技やオリンピックにかける想いについて、他部門奨学生がインタビューを実施しました。

 

写真右/辻すみれ ©公益社団法人 日本フェンシング協会:Augusto Bizzi/FIE

辻 すみれ
第49回生


●出場種目
7月29日│フェンシング女子フルーレ団体

コロナウイルスによるパンデミックは人々の活動に様々な影響を与えてきました。今回インタビューをした辻すみれさんが出場されるフェンシング競技でも、代表選考大会のいくつかが中止されるなど、いつ試合や練習が再開できるのかわからない状況が続いたようです。先が見えない状況の中で、辻さんはどのようにモチベーションを保ち続けて自分の目標に邁進されてきたのでしょうか。辻さんがオリンピックへ向けて積み上げてきたものと、彼女の魅力をこのインタビューを通して共有したいと思います。

【インタビュアー:アート部門49回生 大竹紗央
シカゴ美術館付属美術大学在籍。主に実空間や仮想空間を用いたインスタレーションアートを制作しています。最近初めて周期ゼミを観察し、慣れ親しんだ日本のセミと鳴き声が違うのにも関わらず、セミのいる空間に身を置くと夏を感じることに感激しました。

ーーオリンピック開催についてさまざまな意見がある中で、どのようにオリンピックへのモチベーションを保ち続けましたか?

辻 :私自身大雑把な性格でして、意見に心を痛めてネガティブになるなどといったことはありませんでした。さまざまな意見を聞きながらも、自分はオリンピックに向かって頑張ればいいと割り切って、自分がすべきことに集中していました。

ーー一番辛い/しんどい練習は何ですか?そんな時、どのようなことを思い、考えると頑張れる/乗り越えられるのでしょうか?

辻 :そうですね。フェンシングの実践練習よりは、フットワークのような息が上がるハードな有酸素系トレーニングの方が辛いと思うことがよくあります。でも、このトレーニングをちゃんとやれば、試合で勝つためにしっかりとしたフットワークができるだとか、体力を切らさずに最後まで試合ができるということを考えて練習を乗り越えていました。

自粛中は部活の仲間たちと4分割された画面でオンライントレーニングをしていた、と/辻すみれさん(左)。
とてもはつらつとした方でした。(右/大竹紗央)

基本的には地元の岐阜県で練習をしていて、コロナの影響で自粛が必要となってしまったときには、大学の部活の仲間たちとビデオ通話をしながら一緒にトレーニングをしていました。やはり家で行うとなると狭いので激しい運動はできなくて、そこはなかなか大変でしたね。

ーー2020年7月に行われた第49回総会の自己紹介の中でアニメが好きだとおっしゃっていました。アスリートである辻さんにとってアニメはご自身にどのような影響を与えていると考えますか?

辻 : それこそ試合の前に『ハイキュー!!』のアニメのオープニングテーマを聴いてて気分を盛り上げています。試合中にピンチに陥った時には好きなアニメの主人公のセリフを思い出してみたり、結構アニメに励まされている部分はありますね。苦しいときに、『エヴァンゲリオン』の主人公の「逃げちゃダメだ」というセリフで周りが応援してくれることにも励まされます。

写真提供/辻すみれさん。ヒルト(剣の持ち手)の塗装のお話をいただいた時に、自分でデザインしました。ちなみに塗料も公式の配合色をいただいて使っています。今も『エヴァンゲリオン』のネックレスとピアスを付けています。好きなアニメのグッズはモチベーションを上げる大切なアイテムです。
ネックレスを見せてくれる辻さん。

ーーご自身の夢を追うにあたって一番の苦労はなんだったと考えますか?

辻 : 今でこそ練習環境は整ってきましたが、小中学生のときは地元の岐阜に練習場所があまりありませんでした。週に一回体育館で行われるクラブチームの練習だけでは試合に勝つことが難しいので、私のコーチである叔母の家へ行って道路でレッスンしてもらったり、借りた公民館の狭いスペースを斜めに使うなど工夫していました。中高生のときには使わなくなったボーリング場のレーンを借りたりとか、場所を探すのに苦労してきたので、1回の練習をとても大事にするようになりました。

エヴァンゲリオン公式公認のヒルトで戦う辻選手(休憩中)。耳には使徒”サキエル”のデザインのピアスが!写真/©公益社団法人 日本フェンシング協会:Augusto Bizzi/FIE

練習環境が整っている東京を拠点にする選手が多い中で、私は迷いに迷って地元の岐阜を大学進学先として選びました。地元のコーチにたくさん教えてもらっていたし、中学生から朝日大学にお世話になっていたので、私自身のことと私のフェンシングをよくわかって指導してくれるのは地元だと思ったからです。国内外の遠征では、地元のクラブチームで小さい子たちとワイワイ楽しく行う練習が恋しくなります。現在も空いた時間にコーチとして指導する機会があるのですが、現役を引退した時にはもっとたくさん教えて、選手を育てていけたらいいなと思っています。

ーーコロナ禍にチャレンジしたこととして、以前の財団アンケートで、「果敢なオフェンス」と回答されています。チャレンジしようと思ったきっかけやチャレンジした後の変化について教えてください。また、それらを踏まえて東京オリンピックでは、ご自分のどのような部分に注目して欲しいですか?

私は、ディフェンスがすごく得意で、オフェンスに苦手意識がある選手でした。コロナ禍前のオリンピック選考レースでオフェンスがしっかりできないと勝ち上がっていくのは厳しいと感じることが増え、チャレンジを始めましたね。ナショナルトレーニングセンターや大学が閉鎖されている間はコーチである叔母の家へ行って、オフェンスを磨く動きや突きをたくさん教えてもらいました。実践練習ができるようになってからは、「果敢なオフェンス」を意識しながらやっていました。ただ、オリンピックまであと少しということもあって、完成しきっていないオフェンスを無理やり引き出すよりも得意のディフェンスに集中して、自分の力を最大限発揮できるよう準備しています。

フェンシングは激しい剣のやりとりや、フットワークを用いた前後への駆け引きが魅力の競技です。特に激しいやり取りの後で点数を取った瞬間は、初めての人が見ていてもすごく楽しめるし、アツくなるんじゃないかなと思います!

 
【インタビューを終えて…】
私自身、コロナ禍で作品展示会が中止または延期になり、積み重ねてきた努力を発揮できる場所や機会が失われることに対して、形容し難い辛さをこの一年間感じてきました。このような状況においてもなお直向きに自分の夢を追いかけ続けてきた辻さんは、同い年とは思えないくらい頼もしく見え、同時に心が奮い立たされました。第49回総会が開かれた時からずっとお話を伺いたいと思っていたので、今回インタビューをする機会をいただけてとても嬉しかったです。「覚醒」した辻さんが、初号機カラーのヒルトを使って戦うところをテレビを通して応援するのをとても楽しみにしています。

(取材日:2021年6月27日 文:アート部門 大竹 紗央)


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