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卒業レポート

music

2023.04
藤田真央
第49回生 - ハンスアイスラー・音楽大学
卒業後の進路:ハンスアイスラー音楽大学で引き続き勉学とコンサート活動

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私は2年半に渡り、江副記念リクルート財団より奨学金をいただき、なに不自由なくピアノに向き合うことができた。これは誰もが受けられる恩恵ではなく、選考していただいた先生方、江副記念リクルート財団の皆様方全員に感謝したい。

 

歴史を遡ってみると音楽家(=特に作曲家が当てはまるが)というのは常に金銭の支援に恵まれ、孤高の音楽を描いてきた。それはバッハもモーツァルトもベートーヴェンもそうだった。だが、そのような音楽だけに比重をかけ、それだけに集中できる環境など夢物語にすぎないと思っていた。だが、江副記念リクルート財団との出会いはそんな私を180度変えた生活を送らせてくれた。特に、2020年に突如として現れた未曾有のウイルスは全世界を襲い、我々の生活を一変させた際も、変わらず支援をしてくれた江副記念リクルート財団には多大なる感謝を申し上げたい。

カーネギーホールデビューのリサイタル

 

私は昨年ソニークラシカル・インターナショナルより「モーツァルト・ピアノソナタ全集」をリリースしたのだが、これは私がコロナ禍で全てのコンサートを失った際に、毎日一曲か二曲、自分を鼓舞するために、新たにモーツァルトの楽曲を学ぼうと取り組んだ、いわばルーティンだった。それが2021年にスイスで行われた、モーツァルト・ピアノソナタ全曲演奏会、そして昨年のアルバムリリースへと繋がった。今年7月もロンドンで再びこのモーツァルト・ピアノソナタ全曲演奏会を行う予定で、一つ小さな行動がここまで広がるとは思いもしなかった。

 

その他にも代役の機会に恵まれたのは運が良かった。日本の公演はもとより、ヨーロッパにおいて、マルタ・アルゲリッチ、サー・アンドラーシュ・シフ、マリア・ジョアン・ピレシュ、マウリツィオ・ポリーニなど20世紀後半を彩る大ピアニストが相次いでキャンセルした際、その代役を務めることができたのは非常に幸運であり、その縁からたくさんの新たな公演へと繋った。それは私が日本からベルリンへ拠点を変えたことも大きかった。長い間日本に定住しながら、自分が請け負ったヨーロッパの公演を行っていたので、移動距離はもちろん、時差への対策も必須でピアノ以外で適応しなければならないことがあまりにも多すぎた。そして私はクララ・ハスキル国際ピアノコンクール、チャイコフスキーコンクールという二つのコンクールを二十歳以前に受賞したため、音楽的要素や人間の形成など、これからの音楽人生を長く生きる上でまだまだ学ぶことがたくさんあると実感したためベルリンへ移り再び勉学に励もうと決心した。それが功を奏し、今現在もベルリンで私の師、キリル・ゲルシュタインと共に音楽と向き合いながら、様々な国でのコンサートを行っている。

師のキリル・ゲルシュタインと

前述したように今はベルリンで一人暮らしをしているが、以前は日本で家族とともに20数年暮らしていた。私の母親のサポートが手厚く、家にいればご飯や洗濯、お掃除まで私のものも全てしてくれ、コンサートがあればスーツや靴を用意し、さらにはハンカチやカイロまで準備済みである。その、全て自分で実行しなくても全て誰かが私のために手助けしてくれる環境下から一新し、ベルリンでは全て自分で行わなければならない。洗濯も、掃除も、全てそうだ。その分新たに得られたものもある。責任感だ。例えば何か食べ物を作る際も、調味料や食材から自分の責任で調達しなければならないし、いざ調理する際も自分の責任で火加減や塩胡椒の具合など管理しなければならない。たとえ完成した代物が口に合わなかったとしてもそれは自分の責任だ。掃除でも洗濯でも全ての行動に意味を感じ責任を伴うこととなり、日々の日常が新たな境地へと開花した。今では日本で生活していた時の私とは一皮も二皮も剥けて考え方も客観視できるようになっただろう。それは音楽において多大に役立つ事柄であり、一つ解釈をとってみてもそうだろう。我々は数百年前に作曲され、研究され尽くされた作品を演奏する。それはもう学者たちにより解釈が固まった作品も数多い。だがその先入観に固執されず常に新しい目線で対峙する事により、たとえ小さいながらも何か新たな萌芽に繋がる。その感性を今後も大切にしたい。

アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団と定期演奏会

これからの若い音楽家には情報化社会で様々な事柄がすぐに得られる社会になってきているが、情報として知るより、経験して知る方が同じ知識だとしても厚みが違うので、ぜひ様々なものを自分の五感を通して得てほしい。

藤田真央
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