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7/27「大学卒業後のアーティストという生き方」開催報告


ーーいろいろなところで認められるまでの卒業後の12年間、作品を作り続けて孤独とかありましたか?もしくは作品が購入されるまでの数年間の活動って周りにいろんな人がいらっしゃったりとか、協力してくれる方に恵まれたり、振り返ってそう感じていらっしゃいますか?

塩田: 私の場合、自分が求めればいつも誰かが側にいてくれたような気がします。誰かに助けを求めずに、私は作家でいいんだとか、アーティストだから作品だけ作っていればいいんだと思っていたら、側にいる人に気づかなかったかもしれないです。だから、自分一人じゃできないっていう時とか、これどうしたらいいんだろう?って悩んでいる時に、相談できる相手が側にいたってことは、すごく大きいなって思いますね。でも、その一方で、孤独っていうのはアーティストでいる限りはもう一生ついてくるものだとも思っています。だからといって、私自身はそんなに特別なことをやってはいないです。昨日もアトリエに行って一人で悩んでいて、「あ、今日も何もできなかった。朝起きて今日はこれとこれをしようと思ったけど、できなかった」とちょっと落ち込みながら家に帰ってきて。今日は今日で「あ、今日はこの江副記念リクルート財団のトークがある」と思って、朝、カフェに行って、一人でボーっと過ごしていて、何を話せばいいかな?話せないかもしれないな?とか考えながらウダウダと悩んでいました。自分では、私なんて欠落ばっかりで、穴ぼこだらけの人間だと思っていて、どうしていいかわからないところがいっぱいあるんです。それを孤独になることで自分と向き合ってみて、自分について考えたりすることも悪くないんじゃないかと思っています。

写真:左上/鈴木 友里恵 中央上/福田 由美 エリカ 右上/合田 結内奈 左下/塩田 千春氏 右下/秋元 雄史氏

でも思うのは、他人は自分のことを見ていても、自分では自分というものがいつもよく見えない、わからないなあと。どうやって人と付き合っていけばいいんだろう?どうやって自分のことを話していけばいいんだろう?どうやって作品発表していったらいいんだろう?どうしたらもっと自分や作品のことを分かってもらえるのかな?どうやってコミュニケーションをしたらいいのかな?とか、そうやって自分で自分に問いかけて、ひたすら自分と向き合って悩むところから全てが始まるんだと思います。逆に言えば、それだけなんですよね。どうして私、こうやって作品を発表しているのかなって思う時がよくあるんですけど、かといってそれ以外のことは何もできないし、それが答えなのかな、と思う時も多いですね。

ーーありがとうございます。今この場にいる奨学生にもすごくささったような生の声が聞けてすごくありがたいです。少し話題は戻りますが、日本で活躍するより海外に出たいって塩田さんも考えていて、我々奨学生もおそらくそのようなビジョンがあって海外の美大で活動しているんですけど、今国内にいる作家も海外を目指すほうがいいという傾向とかアドバイスありますか?

塩田: 私がいた時よりも、日本は貸し画廊が少なくなっているし、ヨーロッパのようなギャラリーも増えていると思うので、日本でもできると思います。でも、英語圏で暮らしてみたり、ちょっとドイツ語で暮らしてみたり、違う言葉で生活してみるっていうのは、自分のアイデンティティを探求するということにもすごく繋がっていて、もう一つの自分というか、ちょっと違う自分に会えたりするので、制作をする上ではいいのではないかとも思いますね。今の時代、海外じゃないとダメだっていうのはないと思います。インターネットでも繋がることができるから、どこに住んでいても制作はできますし。でも、例えば、アーティストレジデンスなどは、世界中にありますよね。私の知り合いでも、アイスランドにアーティストレジデンスで行って、毎日オーロラを見て過ごしたっていう話を聞くと、何か、そういう生活をすると作品もいいものができるんじゃないかなって思います。何かそういうところで、何をすれば自分のいい作品ができるかとか、もっと自分というものが見えるのかなとか、場所を変えて自分を見つめ直す機会を作るのもいいのでは、と思いますね。

ーーありがとうございます。秋元先生はどのようにお考えですか?

秋元: 塩田さんが今言ったように、今の時代なので、SNSなども発達してるし、どこでなきゃダメだみたいなことは昔ほどはなくなってきていると思う。制作のしやすい場所とか、お金があまりかからないとか、現実的な側面のほうが選ぶ基準になったりするかもしれないけれども、現代アートの場合、アーティストになるということは、自分にある部分では正直にならないといけないというか、自分自身と向き合っていくみたいなことが、一つの仕事みたいなところもあるので、それを割と真摯にやっていこうと思うと、環境としては厳しいところに追い込んでいかないとなかなか自分と正直に向き合えないようなところがある。そういう厳しい職業でもあると思う。自分を確立してきてもうどこにいても大丈夫っていうふうになったら別だけど、若い時期でまだ自分探しの自分の長所も短所も見分けられないような時期には、いろんなものと出会って、自分にとっての生きやすい場所とか生きやすい何か価値観みたいなものをつかみながらいったほうがいいのかなと。そういう意味では海外に出るっていうのも、いろいろな環境に身を置くっていう意味ではすごく大事なのかなぁとは思う。

ーーなるほど。確かに自分の作風を確立するとかって、今まで住んだことのない環境とか生まれて初めて遭遇する環境で、自分とは何かとか、何が好きで何が嫌いかとかすごく問われそうですね。塩田さんは戦略的に自分のアーティスト像とかを作っていくために海外に出ようとか、違う環境に触れてみようみたいな考えがあるように思いましたが、いかがでしょうか?

塩田: 私は自分では「戦略的に」というのは特にないと思っていますが…。そのときの気分というか、「あ、私、日本にこのままいたら、作品を作っていけないかもしれない。女性であるとか、そういったカテゴリーを超えてから、やっと作品を作れるんだ」と考えて、「日本では無理だ、海外でやるしかない」って思いました。でも、海外へ留学するのは高いんですよね。そして、自分にはお金がない。その点、ドイツは学費がかからなくて、受け入れ先も決まっていたということもあった。それで進んできたんです。だから、もう常に自分に正直にいればいいんじゃないかなって思っています。私はもうそこでしか生きていけないのかもしれないし、アーティストとして、なんとかうまく職業として成り立ってきてはいるけれども、でも、それ以外の職業っていうのは多分、自分では考えられないと思っています。普通の職業で役に立たない人が最終的にアーティストになるんじゃないかな、とも思っていて(笑)。秋元さんは結構アーティストをたくさん見ていて、そう思うときがあるんじゃないかと思うんですけど、どうですか?

秋元: アーティストもアーティストになっていくのだと思います。元々アーティスト気質のある人とか、向いてるだろうなと思う人はいるけど、やっぱり相当に努力して、アーティストっていうものになっていく。特にプロフェッショナルって呼ばれてアートを生み出している人たちは、プロだと思うよ。特に塩田さんがいるから言うわけじゃないけど、海外で活躍しているアーティストは、やっぱり結構厳しい条件の中で作品を作っていかないといけないし、いろいろなものを求められていくし、その中で結果を出していくっていう意味では、本当に実力がないと生きていけないし、相当競争していかなくちゃいけないわけで、そういう中で実績を積んでいくってことは大変なんじゃないかな。その中でさらに磨きがかかっていくのだろうと思うね。

さっきのお金が安い高いみたいなこともあるけど、日本は、やはり競争する場が弱いんだよな。それが、すごくいいものを持っててもなかなかいいアーティストを国内で育てられない一番の理由っていうか、さっきのすぐカテゴリーに収めちゃったりとか、矮小化して、例えば塩田さんが作っている内容をファイバーだと言ってみたりとかっていう、なんかすごくスケールダウンさせていっちゃうというのがあるというか。さっきの海外の方がっていうのは、未だにどこまでそういう部分があるかどうかわかんないけど、現代アートって国際的なアートシーンの中で動いてるので、そこでの競争力みたいなのを磨いていこうと思うと、やっぱり海外経験している方が強いのかもしれない。

塩田: なんか強くなりますよね、やっぱり。元々強いのではなく、そういう状況に置かれるから、強くならなきゃいけなくなったというか…。

私、2019年に森美術館の個展があったんですけど、その後パンデミックになって、2020年はその影響で10個の展覧会がキャンセルになりました。それでも、19個の展覧会はなんとかこなしたんです。なんか、「やり続けなきゃ」というか、「いつも自分は勝負しないといけない」と思うところがあるんです。2001年の横浜トリエンナーレも「今がチャンスだ」っていうのがあの時やっぱりあって、ここでやらなければ後はない、っていう気持ちでした。金沢21世紀美術館での展覧会も、購入してもらえるように頑張らなきゃと思っていたし、2015年のヴェネチア・ビエンナーレ日本館での展示の時も「今頑張らないで、一体どこで頑張るの?」っていう、自問自答があったんですよ、作りながら。今ある力を出し切らないと、もう後がない、ってすごく崖っぷちの状況がいつもあって、その経験がいつも私を鍛えてくれたんだと思っています。

また森の話に戻りますが、私、森美術館での展覧会が決まった時、12年ぶりにがんが再発してしまい、手術して治療を続けながら、森美術館の個展のプランを考えていったんです。けれども、それもがんになったからできない、じゃなくて、がんになったけどそれを乗り越えて展覧会ができたんだ、っていうところに自分を持っていければいいな、って思っていました。

とは言え、できてくる作品が、例えば、抗がん剤治療をやっているから髪の毛が抜ける作品とか、髪の毛が抜けてそれをビデオ作品に収めていて、そのタイトルが『そしてハゲになる』(笑)。『そして父になる』という映画タイトルを絡めて、『そしてハゲになる』にして、「これ見せたらどうですか?」って言ったらすぐにキュレーターに却下されて。「こんなの出しちゃダメ」って。今の私にとって、そういった抗がん剤治療しながら作品を作るっていうのは、アーティストとして必要かもしれないけれど、発表するっていうところで、人が共有できない何かになってしまう。プライベート過ぎて共有できない作品になってしまうのはすごく残念だから、吐き出す作品ではなくて、作品として人に見せることのできるものを作ってくださいって言われて、すごく苦しんだんですよね、私なりに。

秋元: でも今の話は面白いなぁ。ある種現代アートの状況を表してるというか、キュレーターの立ち位置がわかるというか。私、森美術館の回顧展、あれだけのあの空間を全部塩田さん1人で場を支配してやったわけじゃない?あのときに全体として感じたのが、すごいバランスとって見せてるなって思った。どっちでもいっちゃう作家だっていうか、塩田さんが今言ったみたいに、内面を徹底的に吐き出してわりと存在論的に全部を見せちゃうところもあるし、ある種コミュニケーションを取っていく場所をいろんな人と共有していくような、そういう対話型のものもあるし、両方に振っていけるようなアーティストだと思うんだけど、あの全体の構成は絶妙なバランスだなと思ったよ。

塩田: 手術をして、抗がん剤治療が始まる前に、今後どうなるかわからないんで、日本に早めに行って、プランだけ先に決めたいんですって言ったんですよ。というのも、この展覧会がなくなってしまうと、自分自身がなくなってしまうような気持ちがあって。この展覧会は絶対やりたいっていう思いだったので、大きな展示会場のプランだけは先に決めてしまって、新作の部屋だけを最後に残して、ずっと作っていましたね。新作を展示する部屋は、やっぱり最後まで悩みました。最初、私自身を出したいと思って考えついたのが、抗がん剤治療で使って空になった薬剤のプラスチックバッグを使った作品で。その中にクリスマスツリーにつける電球を入れて、ピコピコと光らせたんです。さらに病院のベッドも置いて、作品に仕上げてそれを見せた時、これはちょっと強過ぎる、共感できないって言われて、私自身それがどうしてダメなのか、わからなかったんですよ。自分自身と作品が近すぎて、これがないと、これを作らないと、私は生きていけないのに、だから作っているのに、なぜこれが受け入れられないかわからない、っていうところで、キュレーターと意見が食い違ったんです。

秋元: 面白いね。そこでキュレーターの、ある種能力っていうかさ、興行としてどこまで成功させるかってことが片方の頭にあるんで、あと作家の本質がずれちゃうとまたいけないしどこを見せたいかっていうのもあるじゃない。あの後って、草間さんの後にくる作家ってこの人(塩田さん)なのかなってみんな思ったと思うんだよ。あれだけの人数の人がさ、この内容であんなにたくさんの人が見ちゃうんだって言った。

塩田: そう、作品になってないって言われた時が一番ショックで。「え?なんで作品になってないんだろう」っていうのが、アーティストとしてはやっぱりわからなくて。でも、今はわかるんです。あれが作品になってなかったというのが。でもあの時は、私自身の個人的な物語から「なんで抗がん剤治療を受けて自分は生きていかなきゃいけないんだろう」とか、「でもとにかく生きていきたい」という思いが強かった。それで、空っぽになったプラスチックバッグに光を点滅させたわけなんです。点滅させながら呼吸を伝える、生きていることを示したいっていう思いで。

その時はちょうどクリスマスの時期でもあったんですが、その年のクリスマスは家でクリスマスツリーを出さなくて。ツリーにつけるはずの電球を私が作品に使ったからなんですが。それで、我が家のその年のクリスマスツリーは、抗がん剤治療で空になった薬剤バッグがピカピカ光っているものに取って代わられてしまったけれど、でもそれで、私が「生きたい」と思っている強い気持ちは、家族に伝わったと思います。なんでこれを展覧会で見せちゃいけないんだろうっていうのは、正直まだあったんですが、これは「私」だけの問題であって、それを発表して「私達」の問題になるときに、これだと共有ができないんだ、作品になっていないんだっていうことを、私も後になって理解しました。

秋元: 塩田さんの仕事って、塩田さん本人を赤裸々に出すところとかあるから成り立ってるところもあるじゃない?絶妙なバランスだったんだと思うよ。一方結構初期の作品とか、泥んこになっているようなパフォーマンスのとかって、ある人にとってみれば拒絶されてるような感じを受けるような作品だったりするじゃない?そういう、私がいさえすればいいんだみたいな世界観と、一方でそれがだんだんほぐれていって血管が空間に広がっていくみたいに糸が広がっていたりとか、いろんな人たちと結びついていって、見てる側も一緒にいてもいいんだな、とか、何か対話ができるような空間にだんだんなっていったりとか、その辺の振幅みたいなものが、あの個展を成功させたんじゃない?メッセージとしては、結構いろんな要素があるアーティストだと思うから、どこに焦点当てるかで、全然レトロスペクティブも変わってきちゃうと思うんだけど、でも全体貫いてるメッセージは、でも1人じゃないんだみたいなところはすごくよかったんじゃないかと思う。
塩田: 自分の人生かけた展覧会でした。実はそんなにないんですよ。自分の中で、全てをかける展覧会っていうのは。森の展覧会は、その中の一つと確実に言えますね。
秋元: たぶん若い女性アーティスト、アーティストを目指している人たちには相当に来るものがあったと思う。そんなに現代アート美術に詳しくない人たちも行ってたからあれだけの人数になってると思うんだよね。何十万人でしょ?

塩田: 66万人。インスタとかSNSの影響もあって、たくさんの人が自撮りをメインで最初は来たんだと思うんですよね。話題の展覧会だ、って初めは自撮りメインで入ってくるんですけれども、嬉しかったのが、私の作品や会場のテキストを見ながら、だんだん自撮りすることを忘れていくみたいなんです。あと、リピーターがすごく多かったそうです。私は作品を作っていると、割と抜けられない自分の闇の中に入ってしまって、どうしようもない気持ちになるときがあるんですけども、展覧会のリピーターが多いっていう話を聞いて、その闇の中の世界っていうのは、実は人間に共通している闇の世界なのかもしれないって思ったんですよね。もう1回この作家の気持ちを理解してみたいとか、もしかしたら、これは自分のことかもしれないと思った人もいたのかもしれないと思った時に、私もすごく救われた気持ちになったんです。
秋元: 相当長い時間佇んでる人いたよね。
塩田: いましたね。
秋元: 俺はあんまり怖くなかった。怖くなかったというか、追い込まれている感じがなくて、意外と居心地がよかったんだよね。
塩田: あ、でも抗がん剤で使用した後のバッグと病院のベッドの作品があったら「怖い」で終わったかもしれない。
秋元:だからちょっと抑え気味なところがより広がりが出たのかもしれないし、塩田さんのアーティストとしての力ももちろんだけど、キュレーションの技みたいなのも非常に出ている。

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