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9/3「アーティストのキャリアにおける海外留学の意義」開催報告


奥村 アーティストが外国に目を向ける理由、すなわち、ある程度勝手がわかっている住み慣れた土地を差し置いて、海外という不便な可能性が高い場所へ行く理由はなんなのかをお二人にお聞きしたいです。まずは水野さん、フィンランドにはどういうモチベーションで行かれたのでしょうか?

水野 モチベーション…、そうですね。世界で何が実際に起こっていて、一緒に学んでいる人たちや、社会にいる人たちが何を考えているのかを直接肌で知ることができるっていうのは、海外に目を向けるメリットなのかなと思います。日本はいい意味ですごく過ごしやすい国だと思うんですけど、そこを飛び出して違う環境に住むことで、自分がやってきたことも見つめ直せるし、いろんな環境に住んでいる人たちの考えとかを直接知ったり、体験できたりってするのはすごく作品制作にも大事なことだなと思います。

奥村 栗林さんは、基本的にはインドネシアを拠点に活動されていらっしゃいますが、今、制作のために日本に一時帰国されていますよね。日本でやるプロジェクトにおいて、日本でやるからこそ良いところもあるみたいなことってあったりしますか?

栗林 ドイツで12年ぐらい生活していた時に、ネットがなかったから日本のことを知ることができなかった。日本人の友達がいなかったから、40歳になる前に日本に帰らねばと思って日本に帰ってきた。俺は25から12年間外へ出てたから、帰ってきたのは37で、自分がアーティストだと自信を持って言えるような立場でもなく、デビューもしてないのよ。日本にいる人たちはみんな優秀で、学生を終えたらすぐ作家になってたけど、俺は37ぐらいでようやく自分で恥ずかしくないようにアーティストだって言えるようになった。俺の中では20代でそうなるのは自分には無理って感じてたね。それは自分の本質とまだちゃんと向き合えていなかったんだと思う。でも、ダイビングのインストラクターをやりながらエジプトやタイにいたり、ずっと水中にいた時代があってとか、そういう色々な経験も全部自分の作品に繋がって、自分の中の大切なものを出してくれた。それで日本に帰ってきた。そのあとは、ブラジルやメキシコに行きたくなったんだよ。でも何故かインドネシアのジョグジャカルタとかいう、行ったこともない興味もないところに行くんだけど、同じタイミングで人にインドネシアがいいよって言われて、これは俺インドネシアに行くんだなって思った。波に乗るっていうか、それでいってみたらめちゃくちゃ俺の場所だった。俺はドイツにいたから、もちろん経験としてニューヨークやベルリンやロンドンへ行くことはすごく大事だと思うけど、次は自分と合う場所を探すための海外だったね。要するに生きるためというか、それは自分が調べてじゃなくて、何か勝手にそっちに呼ばれてるという感覚に近いと思う。日本という場所だけじゃなくて、海外っていうところも含めて、地球のどこかに自分とすごくフィットする場所があるんじゃないかという軽い感覚で外国に目を向けても良いんじゃないかな。

奥村 ここが俺の場所だという感覚を見つける前の日本やドイツにいた時、ディアスポラ的な考えのような「ここは何か違う」みたいな感覚があったのでしょうか?だから別の場所に移動していったのですか?

栗林 なんかね、今やってることが分からない方がいい。5年後に自分が会う誰かのためとか、10年後の誰か分かんない子供とか土地とか、何かのために繋がってるんだよ。でも、先に未来設定をしちゃうと、そことは繋がらない。俺の場合は30年ぐらいで、この前ドクメンタの時にそれがあった。

[写真:左上/奥村 研太郎 中央上/大竹 紗央 右上/上野 里紗 左下/栗林 隆氏  右下/水野 渚氏]

俺はドイツのカッセルに4年ぐらい住んでたんだけど、その時は大学の同級生たちとドイツ語わかんないけど、何かビール飲みながらそいつらとバカ笑いしながら一緒にいるの。その後にカッセルからデュッセルドルフに移って、それから友達が欲しいって日本に帰るじゃない。日本に帰っても家がなかったんだけど、知り合いの夫婦が持ち家を貸してくれて、それが神奈川県の逗子だった。逗子に住んだことによって、そこで友達ができだすわけよ。それで、その友達たちがCinema Caravanを作って、そのCinema Caravanと8年ぐらい色々やった時に、俺また海外に行きたくなった。なんとなくブラジルとかメキシコを探したら、みんながジョグジャカルタがいいって言い出して、それでそこに行くわけじゃん。その時アート業界の人に、「栗林くんなんでニューヨークやベルリンに行かないの?ジョグジャカルタって何?フェードアウトしないでね」みたいな嫌味を言われたんだけど、俺は別にそういうことよりも今に集中して、この流れがなんなのかを見てみたかった。そんな感じでインドネシアへ行ったら、そこで仲良くなった奴らがルアンルパを作ってドクメンタのディレクターになった。それを聞いた時に俺はCinema Caravanと一緒にゲリラで応援をするためにカッセルに遊びに行こうとしてたんだけど、結果的にルアンルパと一緒に仕事をすることになってさ。それで招聘作家としてカッセルへ行ったら、ドクメンタ側のスタッフが全員30年前の俺の同級生なんだよ。この1周が30年ぐらいかかって繋がってたんだよね!

[元気炉 /First machine No. Zero, 2020, 下山芸術の森 発電所美術館]


アーティストはみんなドクメンタ作家になりたいと思うよ。だけど、俺はそのための動きなんかしてないの。何をしていたかっていうと、今自分ができることに集中してた。人にね、お前の作品が良いとか悪いとか言われても、そんなのはいいの!トニー・クラッグからお前日本に帰れとか言われたって無視無視!もうとにかく人と比べない。作品のいい悪いなんか誰もわかんないんだから。とにかく今自分ができることに集中していくと、その集中が確実に未来を作る。みんなが海外に行ってるから海外へ行かなきゃいけないということじゃなくて、行きたくなかったら行かなくていい。そういうことは、流れてくるから。今日のこのトークを見てる60人の人達は、それが今日、自分の人生の最先端なわけじゃん。それが例えば突然向きを変えて違う未来を作って行くわけでしょう。だけどさ、先に未来を作っちゃうとさ面白くないんだよ。いろんな仲間が有名なっていったりとか、世の中出てっても焦らなくて大丈夫だから。俺なんか37とかデビューだから。今のこの自分に集中して、自分とフィットしてくる土地もそうだし、作品もフィットしてくると確実に見てる人は見てるから。海外に行きたいからこことかじゃなくて、俺の場合は逆で、色々あった結果、今こういう場所で話させてもらってる。さっきも言ったけど、やっぱりドイツに行って何が一番大事だったかって言うと、アーティスト仲間が出来る。その当時一緒にやってた人たちが未だに作家としてやってるって知った時にはすごく嬉しいし、感動するよ。その時でしかできない仲間っていうのがあるから、そのためには今に集中しなきゃいけない。今の自分の環境にいる仲間だったりにね。それが日本人なのか外国人なのかは何でもいいんだけど、その人達ともしかしたら30年後にすごい提案をするかもしれない。だからそういった部分でいうと、俺はやっぱ学生とかにも言ってるんだけど、とにかく我慢しない。あと何だろうな、未来のことばかり考えない。そうすると不安になるからさ。俺なんかさ先のこと考えたらさ。もう怖くてしょうがないから、絶対考えない。そういう今に集中するっていう一つ一つの中に海外っていうのが俺にはあったな。

大竹 ある種仲間を作る旅みたいなことでしょうか?何を将来やりたいのか、できるのか今は分からないけど、その時一生懸命生きていて、何かお互いに見つけて、そこで熱く語り合える学生の時に出会っていたからこそ、損得抜きでお互い腹を割って話あえる。でも、もしその人とある程度地位ができてから出会ってたら、損得を考えて付き合うような仲になることがありますよね。

栗林 仲間づくりってなっちゃうと、それまた決めちゃってるわけじゃない?結果的に仲間ができただけなんだよ。俺だってそんな友達が多いわけでもないし、やっぱり一人が好きだから、あんまり人と一緒にいたくない。でもさっきも言ったけど孤立はしてないっていうところだよね。孤立してなければ、孤独であっても繋がっていく。みんなが不安になって、誰かと一緒にいちゃうのは、未来を考えちゃうから。どっちかっていうと仲間を作るというよりは、自分に集中してたら仲間ができちゃったみたいな。ちょっと上手く言えないんだけどね。

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